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2012.08.10

まったくもって知らなかったこと

わりと偉そうな事をちらほらいうももさんですが
結構笑える位無知です!

で、今日知らなかったと書いたのは
ちょっと皇室関連について書いてみよう!

ももさんのお父様はバリバリサヨク???な感じで
菅直人に投票してたり
昭和天皇の崩御の際も
「ったく、全部こんなおんなじチャンネルでしやがって」
みたいな事言ってた記憶があります
ですが、七五三とか初詣とか神社には行きましたけど
多分神社の一番偉い人が天皇陛下とかは知らなかったと思います

そして学校の教育のおかげもあいまって
ももさんは皇室軽視
自虐史満載な10代を過ごすわけですが・・・


で、前置きがながくなったのですが
ちょっと昭和天皇の事を書いてみようかな?とおもいました

保守的な幼児教室の機関誌?みたいのに書いてあったのですが
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新教育社連盟
http://www.shinkyoren.jp/

「生命の子供」より
歴代の天皇さま
昭和天皇(11)

昭和21年から29年前まで天皇陛下は全国ご巡幸に廻られましたが
お帰りになる場所は御文庫でした。
御文庫とは東京大空襲で御所も炎上する虞(おそれ)があるために作った防空施設で、地上1階、地下2階の建物です。
窓もなく、天井に載せた砂から水が滴り落ちるので湿気が酷く、健康にはあまり良くない施設です。

御文庫は昭和18年4月に完成し、天皇皇后両陛下はここですまわれました。
戦争後も両陛下はずっと御文庫におすまいでした。
宮内庁が新しい御所建設のお伺いをすると、国民がみんな家を持てるまで自分はここでよい。と許可されませんでした。
しかし、外国の賓客も大勢来られるし、東京オリンピックの開催も決まり、天皇陛下が防空壕におすまいでは困りますとお願いして、ようやく許可されたのでした。
条件は豪華にしないでできるだけ小さく、そして家具も極力今あるものを使うということでした。

 昭和36年に吹き上げ御所が完成しお移り願いましたが、御文庫とは名ばかりの地下壕になんと18年間もお住まいだったのです。
そしてお移りの際、陛下は御文庫で履かれていたかかとがすり減ったスリッパを持って行かれたのです。お洋服も新調されず、繕いながら大切にお召しでした。
お食事も質素で、国民が新米をたべていても、11月の新嘗祭まで古米を召し上がり、ご自分の身の回りは徹底的に節約された質素なご生活でした。
国民の事を常に第一に考えて下さる陛下の御陰で私達は幸せにくらせるようになったのです。
やがて昭和39年には新幹線が走り、東京オリンピックが開催されました
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っていうのがありました
多分知ってる人も沢山いるんだろうけど
ももさんは初めてしって
ちょっと驚愕しました・・・・

私なんでこんな国の象徴を20年位憎んでいたんだろう・・・・って
日本人でいる限り、絶対だれにも愛されてないなんて事はないよね^^
と前に友人が言ったけど
うん、私もそう思う

顔も見たこと無い私だって、私の子供たちだって
きっと陛下はあいしてくれてるんだろうな・・・・


別に天皇陛下まんせ~きもちわるい!!
って意見ももっともだと思うよ

でもそういう事を知って、ありがたいな・・・こんな方が日本って国の象徴なんだな・・・って誇りを持って何が悪い?
と今のももさんは思うわん
自分の子供にはそういう事を少しでも教えたいし
教えた結果日本嫌いになったらそれはしょうがない

でも、知ってると知らないでは結構大きな差も溝もあるよね

元情報:http://tinyurl.com/9jmymw8
(Powered by my日本 http://sns.mynippon.jp/)
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